普通であること
スピリチュアル系の知識がまだおぼつかない頃。
スピリチュアルという日本語もまだあまり浸透していなかった。
精神世界という括りで。新手の宗教の様な匂いがしていたかもしれない。
スピリチュアルな話をする時はイキっていた気がする。
今は、わざわざにスピリチュアルな話はしない。
ただ、どうしても自分の考えを話す時にその背景も必要でダダ漏れる事がある。
スピリチュアルな人は特別な感じがした時代はとっくに終わった気がする。
オーラや前世が視える人、霊と話ができる人は一目おかれていた。
私は興味はあるけど、こういう事は一切できなかったので、スピリチュアルに関心のある普通の人。という立ち位置のままである。
しかし、いわゆるサイキックや霊能者たちに星の数ほど会った気がする。
そしてその人たちに殆ど人格者が居ないことに衝撃を受けた。
イエスの様な人に、奇跡を起こす能力があるのだと思い込んでいた。
今は、そうではなくてサイキックな能力は多かれ少なかれ誰にでもあると思っている。
ただ、封印しているかしていないか。だけ。
超能力にハマる時期があってもいい。でもそれは、ゴールじゃない。寄り道だ。
それじゃぁスピリチュアルはどこを目指すんだろうか?
一瞬一瞬を生きること。今を愛でること。
それさえも意識しなくなる事。
到達点は肉体の死かな?そうじゃないかもしれないから、その隙間を残しておこう。